田後エリア
ロシア軍将校遺体漂着記念碑
明治38年(1905年)5月27日から翌日にかけて行われた日本海海戦後に、田後(たじり)港から20㎞ほどの沖合でロシア将兵3体の遺体が発見され、地元の村民が葬儀を営み、ここに埋葬しました。
その後、村民の“人類愛”の精神を顕彰しようと、初代国連大使で岩美町出身の澤田廉三氏によって碑が建立されました。
明治38年(1905年)5月27日から翌日にかけて行われた日本海海戦後に、田後(たじり)港から20㎞ほどの沖合でロシア将兵3体の遺体が発見され、地元の村民が葬儀を営み、ここに埋葬しました。
その後、村民の“人類愛”の精神を顕彰しようと、初代国連大使で岩美町出身の澤田廉三氏によって碑が建立されました。